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うーん、ちょっと情けないなあと思うんである。
雑誌『ベストカー』の連載「エンスー解放戦線」で、東京モーターショー、マツダ出展のコンセプトカー「魁」がお題になっていた。
論調としてはマツダのデザインはやり過ぎ、プロダクトというよりアートになっている、考え方がもはや宗教的、といったもの。この「魁」についても、量販コンパクトにこんな表現はそぐわないと。
言いたいことはよくわかる。あまりに同じような表現が続く「魂動」に不安を感じていたところ、第2章を象徴する「VISION COUPE」はさらに突き詰めた表現となり、「日本人の美学だ、光のコントロールだ」などとデザイナーが語るのはもはや洗脳的。
僕も最近のマツダ車を取材していて、チーフデザイナー達があまりに同じようなことを話すのに驚いたし、誰に会ってもみんな似たような黒い服を着て同じような髪型?をしているのにオヤ、と思ったりしているけれど(笑)
けれども、だ。あえて言うけれど、たかだか「これしきのこと」じゃないか。
魂動というネーミングこそ派手だけど、わずかシェア数パーセントの中堅メーカーが、少ないラインナップのイメージを統一しようと考え、それを着実に進行させているだけだ。見方を変えれば、他のメーカーが頓珍漢な仕事している中で、その着実さが目立っているだけだろう。
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そもそも、日本車の歴史の中で一向に成長しないデザインに対し、心ある評論家は「メーカーの一貫性を示せ」「モデルチェンジの度にコロコロ変えるな」とずっと訴えて来たじゃないか。
さらに同連載では、新規展開の「黒い販売店」は敷居が高くて入りにくいなんて話もあったけれど、べつにブランド品を着てなきゃ入れないとか、ゴールドカードを持ってないと商談しないってわけじゃない。
これだって、国産車ディーラーはセンスのかけらもないノボリやポスターが残念なんて話がずっとあったわけだし、あの程度の「コーディネイト」にたじろぐのは、逆に客側が情けないという話だろう。
もちろん、すべてのメーカーが似たようなことを言い始めたら「気持ち悪い」とは思うけれど、たかだか1社の話だ。しかも、特段珍しいことをやっているワケでもない。
ごく個人的な話をすれば、僕はいまのマツダデザインはあまりピンと来ない。好みじゃないと言ってもいい。けれども、デザインに対する姿勢は本来あるべき姿だし、仕事の内容も十分評価できるものだ。
そんな「真っ当な」仕事を数年継続したくらいでアレコレ言うのは、ちょっと残念に思える。あまりにきれいな水より濁り水の方が心地よい、なんて文句はたしかに言いやすいんだけど。
(17/11/30 すぎもとたかよし)
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