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COTYは、もういい加減考えどころじゃないかなあと思う。
いまさらイヤーカーなんて何の意味もないよ、なんて声は結構前からあるけれど、しかしこのコンテストに終わる気配は特段感じられない。それどころか、メーカーは何だかんだでやっぱり賞が欲しいみたいだし。
賞に意味があるか否かは、当然だけど中身に説得力があるかどうか。で、COTYはそこがどうにもイケナイと。
何しろ、ご丁寧に各社から1台ずつノミネート車を選ぶなんてことを、いまだに平気でやっていたりする。年間の新車から10台を決めるのは、当たり前だけどすでに「選考」なわけだ。そこをお約束で案分するなど、もうその時点で賞の意義を捨てているに等しいんである。
実際、その歪みは投票でより明確になる。今回で言えば1位と2位が420票と371票で争っているのに比べ、9位のセレナはたった11票なんである。つまりは本来比べるべき対象じゃなかったって話だ。そんな状況はほぼ毎回起こっているにも関わらず、何の変更もなく続ける神経がスゴイ。
こういう投票結果を、メーカー側は一体どう考えているんだろうと思う。日産のセレナチームは、果たしてどんな気持ちで参加していたのか。
ふつうに考えれば「ま、今回ウチは選考外だよな」ってところかと。少なくとも、投票時点でどうにかなるかなんて考えてないだろうし。となれば、もはやメーカー交えての茶番なわけで、ますます賞に意味はなくなる。
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じゃあ、やっぱりイヤーカーに意味はないのかというと、実は僕自身そうは思っていない。賞自体に罪はなくて、要はどういう運営をするかの問題だろうと。
何やかやのCOTYだって、コンテストの正道としてフェアでかつ厳しい基準を持てば、当然その地位はちゃんと上がってくる筈。そもそもノミネート車が年によって一律なのは不自然だし、グランプリは「該当なし」の年があってもおかしくない。
もちろん、受賞車にもそれなりの説得力が欲しい。クルマ小僧やマニアの偏った目ではなく、本当に広くユーザーに恩恵を約束する大人の選択だ。逆に、賞がユーザーを啓蒙するくらいの気概が欲しい。
そういう賞であれば、当然メーカーの開発姿勢にも影響を与えると思う。くだらないマーケティングばかりに振り回されることも少なくなるかもしれない。
クルマがつまらないとか、若者のクルマ離れとか。それはユーザーの心変わりや社会の変化ばかりが原因じゃなくて、業界の勝手な「底割れ」状況が招いた当然の結果かと思う。こんな生温い賞が成立する業界が活気付くわけがない。
もちろん、スバル贔屓の評論家が平然とインプレッサを応援するような記事を書くメディアもまた、そんなぬるま湯の一端であることは間違いないんである。
(16/12/29 すぎもとたかよし)
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