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コラム&レビュー

自動車雑誌を斬る!:自動運転と呼ばないで

 
 一体、この責任の欠落感はどうしたことだろう。

 いま売りの『カートップ』の記事「自動運転がもたらす功罪」では、編集長と評論家2氏が話題の運転支援技術について語っている。

 ご想像のとおり、例のテスラ車の事故などを受けての企画なんだけど、これがちょっと面白い展開だ。

 冷静沈着な中谷明彦氏が、欧州勢を含め各社の自動運転に向けた取り組みに「一定の可能性を感じる」と比較的肯定的なのに対し、毎度技術至上の直線的思考を展開する国沢光宏氏が、今回は意外にも否定的なんである。

 そもそも、「自動運転」などという胡散臭い言葉に違和感を抱く僕としては、普及には技術のほかに倫理観や宗教観までもが課題になり、現実的には当面無理だとする国沢氏の意見に珍しく賛成だ。

 もちろん、技術発展の可能性を語る中谷氏の真意も理解はできるけれど、ことこの件については机上(誌上)での理想論はあまりにキケンで。

 国交省規定のレベル2だろうがメルセデスベンツが先行しようが、現行技術はあくまでも運転支援の筈。ドライバーのミスや疲労、あるいは疾患などを補完するアシストなんであって、まずはそこを周知徹底するのが先決だろう。

 何となれば、新型セレナという多量販車が、その「自動運転」という言葉を実際に使ってしまっているんである。それどころか、そのTVCFでは永ちゃんがステエアリングから手を離すシーンまでを映し、もう「やっちゃえ日産」全開モードと来ている。

 実は、先日の同車発表会では、記者席から「自動運転という言葉を使うのは拙速ではないか」という質問があった。これに対する女性専務の回答は「自動運転とは言ってない。自動運転技術です」という、間違いではないけれど、ある種責任回避的なものだったんである。


 
 件のテスラの事故について言えば、これが結構な話題になったのは、裏を返すと、多くのユーザーが「事故は起きない筈なのに」と認識していたからではないか?

 たとえば、リーフが出れば「これからは環境に優しいEVが主流だ」とし、ミライが発表されれば「いよいよ真打ち誕生」と盛り上がる。日経方面のそうした技術至上的な報道は、”平和より株価”のアベノミクスニッポンには想像以上に簡単に浸透してしまう。

 そんな無防備なユーザーに「自動運転」なんて言葉を使えば、クルマが勝手に運転してくれると本気で思っちゃうわけで、そこに手放しシーンなんかを見せたらもう完全にアウトだ。東京五輪あたりにはもう運転不要!なんて話さえワケもなく通じるだろう。

 あのスバルのアイサイトでさえ「ぶつからないクルマ」という表現は、どんな状態でも絶対に事故を起こさないという誤解を与えかねなかった。それでもギリギリセーフだったのは、あくまでも障害物の前で止まるという限定的な技術だったからだろう。

 国沢氏以外でも、小沢コージ氏などがこの件について警鐘を鳴らしているけれど、だからその他大勢の評論家諸氏か声がほとんど聞かれないのが理解できない。セレナの記事にしたって「プロパイロットなんていうわりには期待はずれだネ」的な方向の残念なコメントに止まっている。

 たとえば燃費不正が拭えない問題だというなら、こっちの話はある意味もっと重要な案件だと僕は思う。単に法や規則に反している云々の問題じゃなくて。

 カートップの記事は興味深いけれど、実は自動車ジャーナリスト協会あたりがきちんと意見をまとめて声明なり技術解説を行うべき事項じゃないのか?べつに技術を全否定するのではなく、冷静かつ正確に理解してもらうだけの話なんだし。

(16/08/31 すぎもとたかよし)

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