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いや、いまさらそんなことを、と若干思ったんである。
いま売りの『ベストカー』。清水草一氏と渡辺敏史氏によるエンスー対談はイタリア車のデザイン衰退がテーマだ。
まずはピニンファリーナと手を切った?フェラーリ488GTB。前衛作品の如くウネるボディは行き過ぎたエモーショナル路線で、これがいまのイタリア車のデザイン崩壊を象徴していると始まる。こりゃあ、どう考えても458からの買い替えはないな、と。
そして、近頃発表されたアルファのジュリアにはさらに手厳しい。まるでBMW3シリーズに無理やりアルファ顔を取って付けたような酷い出来と嘆く。さらに、マツダ・ロードスターをベースにするという新しいフィアット124はまるでコペン・セロみたいになるというウワサがとどめを刺す。
ついにイタリアデザインがニッポンに負ける時が来たという話で、クルマ好き=イタリア車好きとして多少なりともこれを贔屓目に見てきたけれど、もはやかばい切れないと。まあ、たしかにジュリアはいかがなものかと思うけれど、ただ、個人的にはもう結構前からそんな感じになっていたんじゃないかと思っていたので、若干の違和感を持ったんである。
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そのアルファでは、2007年に発表された8Cが妙に評判で、過去のモチーフを採り入れたというボディには「これはカッコいい、カッコいい筈だ、カッコいいと思わなくてはイケナイ」という、半ば集団意識的な評価があったように思う。
けれども、個人的には8Cが絶賛に値する程とはどうにも思えなくて、たとえば近代アルファの140・150番シリーズをなかったことにする程のものじゃないと。だから、続くミトやジュリエッタのやたらな高評判にも懐疑的だったんである。
また、マセラティも04年のクアトロポルテが似たような感じで、「これこそがマセラティ」といった声が、とりわけA4判雑誌方面からあがり、現行型も含めてそういうことになっている。しかし、これとて個人的にはその前の3200GTの方がよほど新しさを持っていると感じていたので、そこまでの賞賛には?がついていたと。
そもそも、最大シェアのフィアットが500XやL、3代目パンダ、あるいはドブロなどで相当生温いことになっていたわけで、突如ヘンテコな488やジュリアがイタリアに出現したという話じゃないんである。
それよりも、ここはやっぱりインハウスデザインとカロッツェリアの違いを問題にするべきなのかもしれない。ピニンファリーナやイタルデザインも、フィアットやアルファのデザインセンターも同じイタリア国内の話なわけで、そこに明確な違いがあるなら理由を知りたいと思うじゃないか。
(15/08/04 すぎもとたかよし)
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