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これは新車絡みのことだから「新車心象風景」にしようかと思ったのだけど、やっぱり雑誌に問題ありということでこっちにする。
で、新型「bB」の話である。
これ、どう考えても僕はイカンと思う。
例のホンダSM-Xが確立した?一部の若者向け商品なわけだけど、ここまで醜悪なカッコと悪趣味の限りを尽くしたインテリアは、もはや先代bBをまともなクルマに見せる程なんである。しかしどうだ。年明け発売のd誌において、レギュラーの評論家M氏は平然とこのクルマを肯定しているではないか。これ本気?
まあ、昔から新車の評論はデビュー直後の「解説」の段階ではあまり白黒をつけないのが常なんだけど、でもこのクルマはマズイでしょう。「解説」するだけの知識を得た時点で十分否定するに値するクルマじゃないのか。
■「夜系」が大切?
なんせコンセプトは「音・光・まったり」なんだそうだ。何だいそれ。
「まったり」でクルマを作りました、なんてことを発表会場でチーフエンジニアが口にしたら、その場で「あんたクルマをナメてんのか?」くらいのことを言えないのかと思うんだけど、ところがM氏と来たら、「まったり」実現のためにシートを沈み込ませる「休憩モード」(!)には大変な苦労があった、なんてことを当たり前のように書いている始末なんである。
一番信じられないのは「若者のクルマ離れには従来の価値観じゃダメ、将来に対するトヨタの危機感がbBを生んだと考えれば素直に理解できる」なんてことを書いていたりするんである。こりゃ一体どういう神経よ。
たしかに若者のクルマに対する興味が以前より低くなっているのは間違いないと思うし、オマケにトヨタは昔から若者に人気がないなんて言われているのも知っている。けれども、だからといって、それに対する回答がこれでいいと思ってるワケ? つまりね、若者と一口で言っても全部が全部クラブに通う「夜系」の若者じゃないでしょ。いや、逆に夜系なんてほんの一部で、大半は普通に「朝系」や「昼系」なわけで、なのに何でこういう安易な発想になっちゃうの?
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■したり顔はヤメ!
こういうこと書くと必ず出てくるのが「選択肢は多い方がいい」「色々あるのが健全な社会だ」的な意見なんだけど、今回は違うでしょ。もちろん色々選べること自体はいいことだけど、問題はどんな選択肢を設けるかでしょ。
クルマを作って売るのは大人。若者自身じゃない。その大人が、世の中の若者に提供するべきクルマがあれでいいのかという話だ。あの醜悪なスタイル。流行の「ちょいワルおやじ」じゃないけど、なぜこうも簡単に「ワル」を取り入れちゃうのか。世の中は、若者はワルでいいということなのか。ミュージック・プレイヤーだって? 一部の若者が爆音をタレ流して周囲の迷惑を買っている時、それを助長してどうする? まったり時間を演出したい? 若者の欲望を何で大人が率先してお膳立てするのか。
■メーカーの責任
つまりだ、仮に夜系の若者がこういう趣味を持っているなら、彼らは黙っていても自ら手持ちのクルマをカスタマイズで醜悪なスタイルにし、市販のイルミネーション付きオーディオを買ってスーパーウーファーで大音響を流し、まったりしたいなら勝手にホテルに行くでしょ、ということなんである。
それを世界的巨大メーカー自身がやってしまってどうする。そこで働く良識ある筈の大人が揃って迎合してどうする。ワルを演出してどうする? 小さな会社が言わば「裏」で醜悪なアフターパーツを売るのはいいとしても、これは社会的影響力の大きい大企業が「表」で作る選択肢ではないだろうに。
そして世の中に出れば今度はメディアで働く大人がこれを平気で肯定する。若者の心を捉えるには仕方がないよね、なんてことを言う。そりゃあ、あんまりにも無責任ってもんじゃないか。メーカーの顔色を伺っているのかどうか知らないけど、やっぱり「これはおかしいよ」と言わなくちゃいけないときもあるでしょ。
いや、べつにbBというクルマ1台で世の中がどうにかなるなんて思わないけど、何だかワルが横行する近頃の日本のお寒い雰囲気って、こういう小さな無責任が積もりに積もった結果なんじゃないのかなあ、と僕は思うのだけど、d誌やM氏にそういう自覚ってないのだろうか?。
(06/01/07 すぎもとたかよし)
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