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このクルマは、一種の痛車だと思うことがいちばん簡単だ。
ある種の走り屋層にそういう潜在需要があったにせよ、痛車があのバカけだラッピングで堂々と公道を走れるのは、アニメ大国などと自称するこの社会に、どこかそれを認める空気があるからなんだと思う。
それはB5判だけじゃなく、A4判の自動車雑誌までがこれを望外に好意的な目で扱っていることからも感じられるところだ。あれを否定することで「頭がカタい」という烙印を押されるのを恐れているかのように。
ただ、それは当のガンダムの作り手が望んだワケじゃないだろうことがポイントだ。原作者やシャアを生んだデザイナーが二次的作品としてクルマを作りたいと申し出たわけじゃなく、むしろ当人達にとってそんなものは興味すらないんだろう。
逆に言えば、そんなモノに興味を持たないようなスタッフが作ったからこそ名作ができたわけで、そこが痛車を代表するバーチャルアイドルなどとは違うところだ。ただ、やる方のノリとしては基本的に同じ温度なんだろうけど。
そういう、著作権だの許諾云々以外は、本来の意味のコラボとも言えない次元の流行事に、トヨタほどの大会社が手を突っ込むのは、だから思っている以上に恥ずかしい行為なんである。
これは、作り手自身が、クルマを「その程度」のプロダクトとしか捉えていないことを想像させる。小学生がランドセルに、あるいは女子中学生が手帳やケータイに可愛いシールを貼ったりするのと同じ次元の“モノ感覚”だ。欧州でゴルフとガチンコなどと言っても、自国でこの程度の認識という。
だから、本来はモデリスタがシャレでオートサロンに飾っておくくらいがせいぜいだったんである。カメラ小僧が、キャンギャルついでに撮っておく程度のノリが。
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じゃあ、たっだらどんなコラボならいいのか? それはたしかに線引きが難しいけれど、たとえば既存ブランドとのコラボものなら、その落とし込みは相応のレベルにしたい。かつて日産が先代キューブで仕掛けた「コンラン」ヴァージョンのように、デザインを前面に出すなら上質さを目指し、かつ大人の抑制を伴ったものだ。三菱の「キティちゃん」ヴァージョンじゃなくて。
いや、そもそも一流企業がコラボするんだったら、もっと本格的に考えたいところだ。かつてトヨタはWiLLブランドで失敗した経験があるけれど、たとえば佐藤可士和のような才能を招いて社内ブランディングの試行をやってみれば、最近のタレントを多用した意味のないTVCMよりはよっぽど創造的な展開も可能かと思う。
さらに、ケン奥山や和田智といった日本を代表する有能なデザイナーと組み、デザインまで踏み込んでこそコラボの本道とさえ言えると思う。これまでも少なからずデザインを外注してきたトヨタなんだから、正面切って奥山デザインのスポーツカーや和田デザインのセダンを作っても特段問題はないでしょう。少なくとも、せっかく才能あるカーデザイナーが国内にいるのに、クルマより先に新幹線のデザインをさせちゃうのは、あまりにもったいない話だろうし。
さて、ピンクのクラウンはLEONなオヤジに刺さり、シャアのオーリスはアニメファン、ガンダム好きに届く。発表されればまたぞろメディアも飛びつく。現社長の言う「ワォ!」なクルマというのがこういうことなら仕方がないし、広告塔と思えばまたしても大成功確定だ。
ただ、以前にも書いたけれど、この手の騒ぎは、株価操作の賞賛に止まらず、外国への原発売り込みをトップセールスとし、勢い憲法改正までをも「実行力」などと政府を持ち上げる大手メディアのカラ騒ぎに似て、実に気持ちが悪い。
まあ、それで実際に高い支持率を得るんだから、トヨタがシャア専用オーリスを市販に踏み切るのだってまた大いにアリってことなんだろうけれど。
(13/05/07 すぎもとたかよし)
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