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評論家の木下氏がドライバー誌の連載で“自動車評論家”にインタビューをやっている。何だか自分のためにあるような記事に感じてしまい、こうしてまんまと感想を書いているんである。
記事は評論家仲間のH氏に「自動車評論家の現状」を語ってもらうものなんだけど、自動車&出版とダブル不況の中、内輪な乗りもあり、勢い話はマイナス方向になっている。
休刊などで媒体が減っている中、原稿1文字10円が相場の厳しさ、海外試乗も端から見るほど楽じゃない。バブル期はよかったけど、いまやカー・オブ・ザ・イヤー選考委員をやっていても特別なメリットなんかない、などなど。
まあ、それはそうなんだろうな、と思いつつ、でもなあと思うんである。
だって、自動車評論家業が厳しくなったのが事実なら、それは必ずしも不況関係だけが原因とは思えないからで、そこに触れないのはチョットね。
「いまどきクルマを買うのに雑誌なんて参考にしない」「雑誌はどうせメーカーの提灯記事ばっかりでしょう」「自動車雑誌は専門用語ばかりでよく分からない」などと言われて10年、20年。
流行の「若者のクルマ離れ」を持ち出さなくても、こういう状況はずっと指摘され、そして進行してきた。先日取材した電子雑誌「バニョール」編集長、塩見氏の言葉を借りれば、工夫のない“護送船団方式”の記事がその代表なんだと思う。
けれども、記事のH氏はその点かなりの自己擁護な感じで、たとえば「オレには編集者上がりの若手のような巧い文章は書けない。だたクルマが好きでやっているだけだからね」なんて語ったりしている。
当たり前だけど、編集者だろうが、レーサーだろうが、あるいはメーカー社員だろうが、前職は文章あるいは記事内容の優劣と何の関係もない。評論家の記事として広く世間に出すんだから、物書きとしての努力や研鑽は前提条件の筈。読者はそれこそお金を出して雑誌を買ってくれるんだし。
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それと「辛口評論家がどうでもいい指摘をするのは疑問。自分はクルマを愛しているから、そんなヒマがあったらいいところを誉めたい」という発言。これもすごいなあと。
まあ、誰のことを指しているのかは?なんだけど、そもそも辛口評論家っていう発想がおかしいでしょ。だって、いいところも悪いところも、その対象を見極めて評するのが文字通り評論家なんであって、最初からどちらかに限定する類の話じゃないもの。ただクルマが好でって言うけど、それは皆同じだろうし。
読者=ユーザーは、自身ではおよばない、そういう的確で上質な評論を期待するわけで、記事の視点、内容、そして表現ともが、「どうせこんなもんでしょ」という読者側の想像を大きく上回ったときに「これは面白い」となるんである。
そういう高みをどう築くか、本当に面白いと思わせる満足感をどう読者に発信するか。そのためには何が不足しているのか。そういうことに触れずに、苦しいとか、大変などと言ったところで何の説得力もない。
いや、もっと分かりやすい話、この号では、巻頭のMRワゴンの新車紹介を編集部員が書いているんだけど、これが結構全方位的に要所をついていて、単なる紹介記事にしては巧くまとまっているんである。
ところが、次ページからの評論家のインプレッションになると、途端に平板で深みのない「想定内」の内容になってしまっている。これなら先の編集部員が試乗した方がいいんじゃない?と思えるくらい。その平板さは一体何なのか。
もちろん、清水氏や島下氏らが最近になって交通事故ゼロ運動を立ち上げたように、ユーザーの先を行く啓蒙運動を進める評論家やジャーナリストもいるから、決して十把一絡げにすることはできない。
けれども、実際にはいまだに平板な時代錯誤的な記事が大半だし、リーマンショックでは目を覆う提灯記事が何の躊躇もなく横行したし、ここに来ては便利・可愛いのステレオタイプな女子目線記事なんかも増えている。
だから、どうせインタビュー記事をやるんだったら、そういう側面に触れないとね。もちろん、内輪受けの軽口タッチでまとめたかったのは分かるんだけど、でも、厳しい状況自体はホントに「現実」なんだから。
(11/02/10 すぎもとたかよし)
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