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雑誌NAVIが創刊300号記念をやっている。
今月号の特集は「NAVIっぽいってどういうコト?」。歴代編集長へのインタビューを目玉にした企画それ自体、まあ普通の自動車雑誌はやらないよなあ、とも思ったりする。じゃあいまのNAVIが文字とおりNAVIっぽいのかっていうと、個人的にはそう言い切れないんである。
創刊以来の読者である僕にとって、NAVIをひとことで表現すればやっぱり「NAVI TALK」なんだと思う。いや、それはオリジナルの大川、徳大寺、館内3氏がいないとダメっていうことじゃなくて、あくまでも内容的な話で。
たとえば、この特集号ではNAVIっぽいクルマとしてラテンなコンパクトカーなんかが“推薦”されていて、まあたしかにそれは間違いではないんだけど、実は別の意味で日本車もまた主役だったんじゃないか、と僕は思っている。それがNAVI TALKであり、イッキ乗りであったと。
要するに、ちゃんと正面から国産車の批評をやっていたのが実はこの雑誌の“らしさ”のひとつだったんじゃないか。日本車はどうもイカンということを、単に欧米崇拝じゃなく、具体的に筋道立ててやっていたのがNAVI TALKで、それをコラム的に変化させたのが下野氏だった。サイドインパクトビームに代表される安全装備の告発なんかは正にその延長上にあったわけで。
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もともとハード的な見方はしないという編集方針だったらしいけど、だからこそ俯瞰した見方ができたのが特徴だったと。もちろん、社会学者や作家などの執筆陣がそれを脇から支えていたのはあると思うけど。
で、ここからは直接NAVIの話ではないんだけど、僕には最近雑誌に感じているひとつの違和感があって、それは「とにかくクルマは楽しもうよ」という妙な肯定思考というか、業界暗黙の了解みたいなヤツなんである。日本車はツマラナイとか言ってないで、そんな暇があるなら大好きなクルマに乗って楽しもうゼ、みたいな流れ。
いやいや、もちろん僕だってクルマを楽しむことに異議はない。って言うか、十分楽しんでいるし。ただ、個人ではなくメディアがそっちのみを向いてしまうことに違和感があるということ。もう批評なんかやめようみたいな。もちろん、始めっから批評なんて関係ない雑誌もあったけれど、それがすべての雑誌メディアに拡大しているところがどうもね。
それが国産車不況?対策としての配慮なのか、それとも批評に飽きちゃっただけなのかは分からない。けれども、ああ、この雑誌は日本車を変える力を持っているなというメッセージ性を持っていたところまでが、いま面白ければいいじゃんって感じになっているのはどうなんだろう? メディアが批評をやめちゃっていいほど、日本車はまだ大人になってないと僕は思うんだけれど。
(09/02/22 すぎもとたかよし)
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