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コラム&レビュー

■自動車雑誌を斬る!そのM「デザインは分からない?

 1月10日発売の「ベストカー」にジャンル別ランキングのような企画があるのだけど、この中で評論家のM氏が、スバルのR2に対してこんなことを書いていたんである。
「R2はデザインが奇抜すぎる」
「このデザインでは量販車になり得ない」
 ビックリした。いや、いまだ少々チャレンジングなデザインのクルマにこんな露骨な拒否的反応をするプロの評論家がいるなんて、これは驚きだ。
 たしかにR2のデザインは他と毛色が違うけれど、それはメーカー自身が主張している開発コンセプトそのものの造形であって、何か間違えたとか勘違いをてしまったワケじゃない。街中がワゴンRやムーヴなどの箱形軽自動車で溢れ、ついにタントのような箱そのものまで登場するに至った現象に、中規模メーカーの生きる道として独自の方向性を示しただけの話だ。

変わったものはダメなもの?
 これまでと方向性の違うデザインのクルマが登場すると「クセがある」だの「好き嫌いが分かれる」だのと、そのデザインを読み解くことをしないで、取りあえず逃避するか拒否反応を示すという風潮が日本の自動車評論界にはある。とくに90年代始めまでは顕著で、たとえば初代のセフィーロやアリスト、レパードJ.フェリー、ユーノス500・800やセンティア、SVX等々、みんなそうだった。ま、ある時期までは日本の自動車評論の未成熟ということで済んだのかもしれないけど、21世紀になり、これだけ情報社会となってまでというのはいかがなものか。


デザイン重視は当たり前
 だいたい自動車に限らず、いまではほとんどの工業製品にデザインの重要性が浸透しているのである。オーディオや腕時計など趣味性の高いものはもちろん、冷蔵庫やエアコンなんていう白物家電まで各メーカー独自のデザインが施されている。たとえばその腕時計を語るときに、どれが一番正確かなんてことばかりを記事にすることなどあるまい。形、色、材質など、小さな時計にだって語るべき造形要素は少なくないのである。そんな中でクルマはその初期から極めて芸術性と近接したプロダクトとして認識されていた筈で、そのデザインを正面から語れないなどは論外。ハッキリ言ってしまうけれど、いまの時代にそんな有り様では評論家の資格などない。

化石評論家
 で、こういうことを言うと必ず返ってくるのが「デザインには好き嫌いがある」というセリフ。ま、それ自体は間違っていない。けれども、デザインには好き嫌いの前にクオリティ=質の善し悪しが存在するのであり、プロであればこれを語らなくてはならない筈だろう。たとえばR2は独特のワンモーションフォルムだけじゃなく、とても軽規格内とは思えない面構成を実現した意欲作であり、何をおいてもデザインを評論するべきクルマではないか。べつにM氏がR2を好きじゃなくてもいいのだけど、見慣れないからといって単に「奇抜」などとは笑止千万。ましてや「量販車にならない」なんてことはユーザーが決めることであって、プロなら自分がどう考えているかを伝えるのが仕事だろうに。こんな化石のような人間は即刻評論家の看板を下ろすべきだ。

 近頃はメーカーの元デザイナーがデザイン評論家などと称して活躍しているけれど、それは本来の姿じゃない。クルマのデザインを見定める審美眼がないのなら、「自動車走行テスター」とでも肩書きを変えて、良くも悪くも下手にデザインのことに口を出すべきじゃないと僕は思う。

(05/01/16 すぎもとたかよし)

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