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■新車心象風景「トヨタ・ヴェロッサ」
■トヨタ ヴェロッサ
 (2001年7月6日発売)
■主要諸元
 排気量:2500t
 最大出力:280PS/6200rpm 38.5kgm/2400rpm(VR25)
 外寸(o):全長×全幅×全高=4705×1760×1450
 東京地区標準価格:240〜337万円

デザイン第一
 クレスタの後継とされるヴェロッサの眼目は「デザイン」であるらしい。TVのCFでは自ら「デザインまでチューンした」なんて言い切ってしまうくらいだから、これはもう相当な自信作なのかもしれない。もちろん、これを取り上げる雑誌メディアも同調方向で、相も変わらず「好きか嫌いか?」なんてコトをやっている。そういう点では、いまのところトヨタの目論見はドンピシャリと的を外していないようだ。
 けれども、このヴェロッサを含め、ここ数年のトヨタ・デザインについて僕は世間の評判に疑問を持っているんである。今回はその話をしてみようと思う。

トヨタは変わったか?
 最近のトヨタはチェレンジングなデザインをしているクルマが多いと言われている。いままで、たとえば最近10年くらい遡っても、初代のエスティマとかセラとか、あるいは歴代のセリカとか、それなりの仕事はしているんだけど、ただ、ここ数年はその変化がより顕著になったのはたしかで、「トヨタは変わった」という印象を強くユーザーに焼き付けようという意図がはっきりうかがえるんである。その転換点がいつなのかは色々と意見があると思うけど、僕は個人的にあのプリウスからだと思っている。
 1997年に発表されたプリウスは、もちろん世界初の量産ハイブリッド車というのが最大の「ウリ」であったわけだけど、3ボックスの4ドアセダンとしてもかなり思い切ったデザインワークをやってみせた。たとえば、新しいカローラや日産のプリメーラなどが採用している「モノフォルム・デザイン」も、プリウスはこの時点で実現しており、小さなエンジンルームとキャビンフォワードによってビッグキャビンを成立させていて、考えようによっては、このクルマがハイブリッド車ではなく、ただのカローラとして発表されたとしても、それはそれで大きな話題になったのではないかと僕は思っていたりする。 

「トヨタ・ライン」
 けれども、このプリウスのエクステリアデザインが100点満点かといえば、実はそうとも思えないんである。その理由はボディサイドのキャラクターラインだ。
 プリウスにはふたつのサイドラインがあって、ひとつはフロントフェンダーにある、三角彫刻刀で施したような「切りかき」と、もうひとつはリアフェンダーからドアに伸びるブリスター風の直線的なラインである。こうしたキャラクターラインも、全体のモノフォルム同様、これまでのトヨタ車にはなかった大胆さをアピールしているようなのだけど、僕にはどうにもシックリ来ないんである。
 なぜか?  ひとことで言ってしまえば、そのラインの与え方が何とも中途半端だからだ。で、僕が近頃のトヨタデザインに対して抱いている疑問というのが、この「中途半端なキャラクターライン」なんである。具体的にいってみよう。  このプリウスの他に、ラウムの前後ブリスター、同じくRAV4の前後ブリスター、新しいエスティマの前後ライン、セリカのドア下部、MR−Sのホイールアーチ等々で、これらのクルマには形状こそ違え、ボディサイドに意図的な造形が加えられている。そしてこれが最近のトヨタ車がチャレンジングと言われている所以の一部となっているのだけど、どれもこれも僕の目には中途半端にしか映らないんである。

 一番いい例がエスティマで、ヘッドライトからフロントドアまで弓形に伸びるラインと、リアフェンダーからウエストラインまで下るように引かれたラインは、それ自体はかなり凝ったものだ。けれども、エスティマをパッと見たとき、少なくとも僕にはそのキャラクターラインの効果がほとんど分からないんである。理由はふたつ。
 まず、プレスラインそのものが見る角度によっては分からなくなる程弱いこと。もうひとつはキャラクターラインそのものに必然性が感じられないことだ。もっとハッキリ言ってしまうと、一度完成したエクステリアを見て、何か物足りないナーなどと思い、後から適当に線を入れてみた、というようにしか思えないということで、これはエスティマだけではなく、先に挙げた全てのクルマにも共通して言えることなんである。
 この曖昧で必然性のない造形を、僕は個人的に「トヨタ・ライン」と呼んでいる。もちろん実際にはデザインスケッチの初期段階からしっかり考えられていたクルマもあるだろう。けれども結果的にそれが「取って付けたようなもの」であれば話としては同じことだ。  

イタリアンもどき
 で、その極めつけが今回のヴェロッサなんである。  このクルマが、やれイタリアンだの情熱的だのと言われるのは、まさにイタリアのアルファロメオやフィアット車をパクッているからに他ならなくて、それは見ているこちらが恥ずかしくなるくらいバレバレだ。ヴェロッサでは一番のハイライトとなる前後ホイールアーチの上を走る2本の曲線は、僕の考える範囲ではクーペフィアットからいただいた発想だろうと思える。けれども結果は見てのとおりだ。
 クーペフィアットの深く刻まれた勢いのある2本のラインは、このクルマの存在価値そのものを示すほどにインパクトがあり、その意図がクルマ全体を貫いている。言い方を替えれば、まずこの2本のラインというデザインソースがあって、それを最大限に生かすべく全体のエクステリアが決められたと思えるんである。
 しかし、ヴェロッサは全く逆だ。2本のラインは、これまでの「トヨタ・ライン」の中では結構目立つ方だけど、このラインがこのクルマに刻まれている必然性が全体を見たときに全く感じられない。まさに取って付けたようなものではないか。RAV4似の変形ヘッドライトやアルファもどきのフロントフェイスなど、色々と変わったことをやっているのだけど、それらが一台のクルマとしてデザイン的に集約されていないため、もうてんでバラバラなんである。

 チャレンジングとかアグレッシブというのは、何でもいいから変わったことをやるという意味じゃあないだろう。妙な小細工はしなくても先進的でチャレンジングなデザインができることは、自前のヴィッツやファンカーゴなどが良い例になっているではないか。だから僕は、このクルマに対してそういう表現を使う一部のメディアや評論家の神経が信じられないし、ましてや「好きか嫌いか」などと云々するはるか以前の問題だと感じている。


(01/08/02すぎもとたかよし)

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